藩境塚

 

(青森県庁サイトより抜粋)津軽領と南部領との境界である、陸奥湾に流れ出る幅2mほどの小流双股川をはさんで、海岸線に接近した旧奥州街道上に、それぞれ2基ずつ築かれた半球状の土塚で、往時は「四ツ森」・「四ツ塚」の名で呼ばれた。

塚の築造年代について、津軽の正保2年(1645)の国絵図には藩境塚が記されているのに対し、南部の正保4年(1647)のそれには記されていない。これは文禄4年(1595)、平内が津軽領になったことに対するわだかまりのためと思われる。少なくとも正保年代以前から築かれていたとみてよいだろう。

塚の径は約10m、高さ約3.5m。塚上に構築物はない。指定当時、陸地よりの2基の保存状況が良好なのに対し、海岸よりの2基は海浸による崩壊のおそれがあったが、今は波よけの施設も施され、塚も全面的に修覆され、周囲もよく整備され、小公園化している。

 

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